拉致問題の解決に向けた新たなアプローチ
羽田次郎は昨日、外交防衛委員会で質問を行いました。
今回は1959年に開始された帰還事業で北朝鮮に渡った方々の帰国について、そして拉致問題の解決に向けた新たなアプローチについて質問と提案をしました。
ロシアのウクライナ侵攻により苦しむ方々にできる限り人道的な対応を行う岸田内閣の方針には、基本的には賛同します。
そして、これまでの日本の人道支援、人道外交の殻を破る、枠を広げる好機と考えています。
帰還事業において北朝鮮政府が『地上の楽園』など虚偽の情報に基づく『勧誘行為』を行ったことに東京地裁が犯罪行為と判決を下したことを契機に質問をしました。
拉致問題の被害者を含む北朝鮮に残された日本人の帰国について、国交のない北朝鮮外交における議員外交、政党間外交の重要性を提言したところ、林芳正外務大臣は議員外交の有効性について一歩踏み込んだ答弁をされました。
安倍政権の時は拉致問題解決に向けての議員外交を否定するような答弁が目立った中、オールジャパンで人権外交を行う決意を示したものと受け止めています。
長年北朝鮮で塗炭の苦しみを味わい、帰国を切望されている方々の力になれるよう、羽田次郎も積極的に取り組んでいきます。
羽田次郎
立憲民主・社民の羽田次郎です。
再び質疑の機会をいただきましたことを御礼申し上げます。
ウクライナ避難民についてできる限り人道的な対応を行うという岸田内閣の方針については、基本的に私も賛同しております。
そして、政府の前向きな方針には、これまでのかなり限定的であった日本の人道外交の殻を破る、枠を広げる好機と考えております。
今日は、限られた時間ではございますが、長年にわたり人権侵害、人権じゅうりんに苦しんでこられた帰還事業で北朝鮮に渡った方々の問題、そして日本人拉致問題の解決方法についてのアプローチについて、質問と提案をさせていただきたいと思います。
まず、一九五九年から一九八四年の間に北朝鮮帰還事業によって北朝鮮に渡った在日朝鮮人及び日本人の人数を教えてください。
丸山秀治 政府参考人
お答え申し上げます。
昭和三十四年十二月から昭和五十九年七月までの間に実施されました北朝鮮への帰還事業により北朝鮮に渡航した方は九万三千三百四十人でございます。
そのうち日本人の方は六千八百三十六人となっております。
羽田次郎
ありがとうございます。
資本主義国から社会主義国への世界でも類を見ない数の大移動だと思います。
一九五〇年代から六〇年代には社会党、共産党を中心に自民党を含む各政党がそろって帰還事業に賛成し、一九五九年には岸信介内閣、言うまでもなく今日いらっしゃる岸大臣のおじい様でございますが、その内閣において事業の実施を閣議了解しています。
帰還事業は、日本赤十字社と北朝鮮の赤十字会が在日朝鮮人の帰還に関する協定をインドのカルカッタで調印し、日本赤十字社が帰還希望者の登録や帰還事業の運営を行い、赤十字国際委員会が助言という形で関与し、朝鮮総連、日本政府、北朝鮮政府が様々な形で関わりながら実施されました。
当時、日本においては在日朝鮮人の方々に対する多くの差別があったと記録されています。一生懸命勉強してもなかなか思いどおりの職に就くことができない、食うに食えない、そういう状況がある中で、北朝鮮においては最高指導者だった金日成を中心に理想の国づくりを行っている、地上の楽園である北朝鮮に行けば差別のない生活が待っている、高等教育を受けることもできる。
朝鮮総連や朝鮮学校による宣伝はもちろん、日本の各種新聞やメディアにおいてもそうした報道があり、多くの方々が人生をこの事業に託して海を渡りました。
一九五九年当時、日本は韓国とも国交がありませんでしたが、帰還事業で北朝鮮に渡った方々の九五%以上が朝鮮半島南部である韓国の出身又は日本生まれだったとのことです。
北朝鮮の港に帰還船が到着するとき、船上にいた帰還者の多くが、歓迎に来た大勢の人々の服装や靴やそうしたぼろぼろの格好を見て、既にだまされたと思ったそうです。
到着後にも、期待していた状況とは全く違い、一切の人権も自由もない、そして、現地の方々も嫌がる仕事、例えば炭鉱で働く、寒村で厳しい農作業をするという方が大半でした。
日本から来たということで低い身分に区分され、北朝鮮でも大変な差別を受け、着のみ着のまま、冬にはマイナス四十度にもなるような場所で生活を強いられていたそうです。
事業が始まった当初は三年ほどで日本に帰国できる約束でした。ところが、実際に帰国できた方はほとんどいませんでした。
現地の正確な情報を提供し、日本への帰国希望者には帰国できる状況をつくることも、当時の日本政府に責任があったとも考えられます。
しかし、日本政府からは正確な情報が提供されることはなく、百八十七次帰還船まで事業は継続され、結果的に大変多くの方々が不幸な状況に置かれ、今日このときも苦しみの中で暮らす方々がいらっしゃいます。
そこで、林大臣に質問です。
日本政府として閣議了解をし、後押しした事業について、なぜ正確な情報を入手し、その情報を帰還事業への参加検討をしていた在日北朝鮮人の方々やその方々に付いていくか悩んでいた日本人の配偶者の方々に提供することができなかったのでしょうか。
また、日本への帰国希望者を受け入れる体制をつくれなかった理由についてもお答えいただければと思います。
林芳正 国務大臣
いわゆる在日朝鮮人の帰還事業につきましては、政府は、一九五九年二月の閣議了解によりまして、北朝鮮帰還問題は、居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理することを確認し、帰還を希望する者の意思確認及び帰還のために必要な仲介を赤十字国際委員会に依頼するとの方針の下に対応した経緯があると承知をしております。
この帰還事業については、日本人配偶者問題を含めた人道上の問題とも関連しており、様々な評価があるということは承知をしておりますが、お尋ねの日本政府の対応含め、当時の状況の下で行われたことについての評価、またその背景等を一概に申し上げることは困難であるということを御理解いただきたいと思います。
いずれにいたしましても、政府としては、いわゆる日本人配偶者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施することとした二〇一四年の五月のストックホルム合意の履行、これを引き続き北朝鮮に求めてまいりたいと考えております。
羽田次郎
今、林大臣のお話の中でストックホルム合意についてお話ありましたが、日朝政府間協議で、残留日本人、日本人配偶者、日本人拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に対する調査を包括的かつ全面的に実施することが合意されました。
しかし、北朝鮮は同年七月四日に特別調査委員会の設置を発表し、そして日本は日本独自の経済制裁を一部解除いたしましたが、北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射を原因として日本政府は経済制裁を再び科し、そのことで事実上全ての合意は白紙に戻ってしまったような気がしております。
ストックホルム合意がしっかりと履行されなかった理由について、日本政府としてはどのように分析されているのでしょうか。
林芳正 国務大臣
二〇一四年五月のストックホルム合意につきましては、北朝鮮との間でそれまで固く閉ざされていた交渉の扉を開き、北朝鮮に日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明させた点で有意義であったというふうに考えております。
我が国としては、引き続きストックホルム合意は有効であると考えており、北朝鮮が、我が国がストックホルム合意の破棄を公言したことになると一方的に主張し、全ての日本人に関する包括的調査を全面中止し、特別調査委員会の解体を宣言したこと、これは極めて遺憾だと考えております。
問題は、北朝鮮がストックホルム合意の履行に向けた具体的な行動を示していないことにあるわけでございます。
我が国としては、ストックホルム合意の履行を引き続き北朝鮮に求めてまいりたいと考えております。
羽田次郎
一九九七年から二〇〇〇年にかけて、三回にわたり合計四十三名の北朝鮮に在住する日本人配偶者の方々が一時帰国されました。
残念ながら現地の状況について詳細に語られることはなく、北朝鮮で幸せに暮らしていますと話されています。
家族を北朝鮮に残してきている中で、やむを得ないことだと思います。
帰国を希望する方に対しては、その思いが実現できるように政府として働きかける必要があると思います。
多くの方々がもう八十代、九十代になっていらっしゃる。少なくとも千八百三十一人いた日本人配偶者のうち、御存命の方は本当に少なくなっていると推察されます。
その中には、死ぬまでに日本に帰りたい、一目でも家族の顔を見て死にたい、それだけを支えに生きている方もいらっしゃるとのことです。
北朝鮮政府は、新型コロナの防疫を理由に、中国との国境地域に流れる川の全域に鉄条網とコンクリート壁を設置し、国境を完全に封鎖しております。
しかし、既に脱北し、中国で帰国を希望している方々が相当数いるとも言われております。
そうした帰国希望者及びその家族が例えば中国大使館、領事館に保護を求めた場合、どのような対応をされるのでしょうか。
岩本桂一 政府参考人
我が国は、脱北者の問題につきましては、北朝鮮人権法の趣旨も踏まえつつ、人道的観点から適切に対処をしてきております。
その脱北者の受入れ国政府とのやり取りを含めて、その具体的な対応については今後の脱北者支援に支障を及ぼしかねないためお答えを差し控えさせていただきますが、我が国としては、これまで政府が関知している範囲では百名を超える脱北者を受け入れてきており、今後とも、帰還事業により北朝鮮に帰還した方々を含め、脱北者事案につきましては人道的観点から適切に対処していく考えでございます。
羽田次郎
少なくとも政府としてはそうした御努力をされているということで少し安心したところでもございますが、やはりもう高齢になった方々は大勢いらっしゃるので、是非そうした御努力をいま一度続けていただくことをお願い申し上げます。
日本人拉致被害者については、交渉が手詰まりになってしまったようにも見えております。
北朝鮮政府が一旦死亡と発表した人々を帰国させるには何らかの、まあある意味、北朝鮮にとって都合のいい理由が必要だとも考えられます。
北朝鮮政府と交渉する上で、日本人拉致被害者の方々と帰還事業で現地に渡った方々を人道的対応として一緒に帰国させる、例えば日本人配偶者とその家族という名目で大勢を一度に、今回ワルシャワから林大臣が多くの避難者をお連れしたように政府専用機を活用して帰国していただくような、そうしたことはできないのでしょうか。
拉致という本来許されない重大な犯罪を曖昧にすることで北朝鮮政府の心的ハードルを下げる、場合によっては議員外交や政党間外交により交渉する発想も必要ではないかと私は考えますが、林大臣はどのようにお考えでしょうか。
林芳正 国務大臣
このストックホルム合意につきましては、先ほども触れさせていただきましたけれども、北朝鮮側は、従来の立場はあるものの、拉致被害者や日本人配偶者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施する意思を表明したところでありまして、政府としてはストックホルム合意の履行を引き続き北朝鮮側に求めていきたいと考えております。
その上で、今後の対応でございますが、拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的な解決に向けて、何が最も効果的かという観点から不断に検討してきておりまして、今後も検討してまいりたいと思います。
そして、議員外交というお話がございました。
国会議員の先生方が議員としての立場から外国政府等に我が国の事情等を直接説明して訴えかけて働きかけると、これは大変重要なことであると考えております。
北朝鮮と交渉を進める際にも、過去の交渉経緯等も踏まえて、また北朝鮮側の体制も十分勘案し、二元外交になってはいけませんが、こういうことに留意しながら日本側として一丸となって対応する必要があると考えております。
羽田次郎
大変分かりやすい御答弁、そして議員にとっても励みになるような御答弁をいただきまして、ありがとうございます。
帰還事業の夢のような宣伝に触発されて一人北朝鮮に渡った川崎栄子さん、当時はまだ高校生でした。
先日、その川崎さんが訴えを起こした、帰還事業に対する北朝鮮政府の責任に対しての訴えでございましたが、その件についてはまあもう時間もございませんしまたの機会にと思っておりますが、その判決が出た際に川崎さんが、人権の問題に対しては時効が成立してはならないという言葉について、大変胸に突き刺さり、今後このことについてもまた機会があればお話しさせていただきたいと思います。
そして、ウクライナ避難民の方々についても質問する予定ではございましたが、残りあと僅かとなっておりますので、本当に林外務大臣が日々体を張って外交努力をされてきて、やっと本当に日本も外交、人道外交の姿が見えてきたなという、そのことに一国民として感謝を改めて申し上げ、私の質疑を終わらせていただきます。